恐れられ、憧れられ、慕われる「鬼」の多面性。伝統芸能やまつりから考える

  • 取材・執筆:飯倉義之
  • 写真:芳賀ライブラリー
  • 編集:川浦慧(CINRA, Inc.)

この記事をシェアする

[object Object]

日本の昔話には人間から恐れられる化け物や妖怪が数多く登場しますが、なかでもポピュラーなのは「鬼」ではないでしょうか。現代では『鬼滅の刃』などをはじめ鬼を題材にした作品は多く、日本人にとってエンタメの世界でも馴染みのある存在です。鬼は恐ろしい存在でありながら、人々にありがたがられたり、慕われたりする側面も持つ存在。鬼が登場する伝統芸能まつりから、その不思議な存在について考えます。

『鬼滅の刃』ブームを支える、恐くて魅力的な「鬼」。「桃太郎」「一寸法師」などの昔話にも登場

昨今の、吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』の人気には目を見張るものがあります。その人気は、鬼と人間をめぐる重厚で伝奇的なストーリーのほか、多くの「名言」が登場する台詞まわしのセンス、スリリングで迫力ある戦闘描写、アニメにおいては絶賛されている映像美などいくつも指摘できますが、もっとも抜きん出ているのはキャラクターたちの魅力ではないでしょうか。

主人公たちのみならず、人間を貪り食い、非道の限りを尽くす鬼たちもまた、読者・視聴者から高い人気を得ています。特に鬼の首魁である鬼舞辻無惨や、配下の「十二鬼月」と呼ばれる鬼たちにもまたそれぞれファンがつくほどです。このように「鬼」は恐ろしくも慕わしい存在です。

思えば日本の説話のなかに「鬼」がいなかったとしたら、どんなに味気ないものでしょうか。小さ子譚と呼ばれる昔話の「桃太郎」や「一寸法師」は、特異な出生をした神の子が、大きく恐ろしい鬼を退治してしまうところに魅力があります。

また説話においても「酒呑童子」のように、鬼の強さと恐ろしさがなければ成立しない物語も数多く存在します。大江山を根城に大勢の鬼を率いて都を襲い、人肉を食らう強大な鬼の酒呑童子は、まさに人間では太刀打ちできない強大な悪。その巨悪を、源頼光とその四天王にプラスして一人武者の藤原保昌という精鋭が、神仏の力を借りたうえで山伏に変装し、毒を盛って弱めておいて寝首を掻くという、謀略に謀略を重ねたうえで何とか退治に成功するのです。

ここまで卑怯に徹してなんとか勝つことができる恐ろしい存在であること。それがまさしく「鬼」の魅力なのでしょう。日本語において鬼は恐ろしいものを示す語(鬼嫁・鬼上司・鬼コーチなど)であると同時に、大きなものを表す語(オニヤンマ・オニヒトデ・オニユリなど)でもあり、ごつごつした武骨なさまを表す語(オニオコゼ・鬼まんじゅう・浅間の鬼押出しなど)でもあります。

それは、鬼の持つ力強さへのあこがれでもあるのでしょう。戦国武将などにも「鬼」を異名とする豪傑・猛将が鬼武蔵(森長可)・鬼島津(島津義弘)など幾人もいます。わたしたちは「鬼」の力に魅入られているのです。

芸能や神事に登場するのは「ありがたい鬼」

ところが反面、鬼たちは昔話や説話においてころっと騙されるものとして語られたり、芸能や神事において神の使いや化身としてありがたがられたりもしています。

昔話「瘤取爺(こぶとりじい)」では、鬼は山中で宴会をして歌い踊る陽気な奴らとして振る舞います。また、狂言「首引」では親バカの鬼が姫鬼の「お食い初め」に立派な人間を選りすぐっていたら、よりによって無双の豪傑・鎮西八郎為朝を呼び止めてしまい、姫鬼は泣かされ親鬼と配下の鬼は為朝の力勝負で負かされて散々な目に合います。

伝説の「鬼の石段」や「鬼の刀鍛冶」では、鬼が夜明けの鶏が鳴くまでに百段の石段 / 百本の刀をつくるという賭けを人間としますが、人間は鶏の足を湯につけて温めて朝が来たと錯覚させ、早く鳴かせて追い払ってしまいます。鬼はとことん、計略に弱い存在なのです。

来訪を喜ばれる鬼「来訪神」、神社を護る存在「鬼コ」も

また来訪を喜ばれ、心待ちにされる鬼もいます。秋田の「ナマハゲ」や鹿児島・甑島の「トシドン」は角や牙を持ち、蓑やマントをまとった恐ろしい異形の存在ですが、人々に活力を与えて回る神の使いです。

彼らは大声をあげて家に来襲し、足を踏み下ろして大暴れします。しかる後、家人の欠点などを指摘して反省を促し(「悪い子はいねーがー」)、饗応を受けて退散していきます。彼らは単に暴れているのではなく、大声と足踏み(反閇)で家から悪い精霊を追い出し、次の年を生きる命(年魂)を授けているのです。こうした、日を決めてムラを訪れる異形の存在は「来訪神」と呼ばれます。

秋田のナマハゲ

ありがたがられる鬼としては、津軽地方の「鬼コ」もそのひとつです。津軽の神社の鳥居には、腰を落とした鬼が両肩で鳥居を支えている像がついたものがあります。この鬼が「鬼コ」であり、神社を護る存在として親しまれ、大事にされているのです。恐れられつつ、憧れられ、笑われ、慕われる。日本の文化の鬼たちは、このような多面性を持った存在なのです。

なぜ節分では鬼を追い払う? 節分行事の原型となった宮中行事

また、身近な鬼とのかかわりとしては、節分の豆まきがあります。節分では鬼を追い払うため豆をまき、戸口にヒイラギとヤイカガシ(焼いた鰯の頭)を飾ります。豆は魔除けの力があるため鬼が嫌う、ヒイラギは鬼がそのトゲが目に刺さるのを恐れる、ヤイカガシは青魚の匂いが魔物を遠ざけるのだといいます。2月の節分は、新たな春の訪れという機会に、さまざまな災厄を鬼というかたちにして追い払う行事なのです。

節分の原型は、宮中行事の追儺(ついな)だとされています。平安時代、宮中では大晦日に「方相氏」という、四ツ目の黄金の仮面をかぶり鉾を持った異形の者が各部屋をめぐり、疫鬼を追い出して回っていたとされています。この行事が、国府や寺社などを通じて各地に伝播していき、現在の節分になったのだろうと考えられています。兵庫県神戸市の長田神社古式追儺式は、この古い追儺の様相を伝えているといいます。

日本各地でまつりの主役として躍動する鬼

鬼の活躍がクライマックスとなるまつりはほかにも数多くあります。

奈良県五條市・念仏寺「陀々堂の鬼はしり」

奈良県五條市にある念仏寺では、毎年1月14日に「陀々堂の鬼はしり」が行なわれます。片手に斧、片手に60キログラムもの重さの松明を持った父・母・子の三匹の鬼がお堂を走り回り、火の粉を散らします。参拝者は火の粉を浴びると身が清められ、また鬼の体についた「こより」を手にできれば幸せになるといわれています。ここでは鬼は幸いをもたらす存在なのです。


大分県・国東半島の六郷満山「修正鬼会」

大分・国東半島の六郷満山の寺院群でも鬼たちは走ります。旧正月に行なわれる「修正鬼会」では、夜に災払鬼・荒鬼・鎮鬼の三鬼が登場し、松明で参拝者の肩や背中を叩き廻ります。この鬼は仏や先祖の化身であり、叩かれたものは無病息災のご利益があるといわれています。その後、鬼は寺を飛び出して深夜に至るまで家々を廻り、住民は鬼の来訪を待ちおもてなしで迎えます。仏教行事の修正会(正月法要)と宮中行事の追儺が結びつき、独特のかたちに育ったといえます。


新潟県三条市の「本成寺鬼踊り」

新潟県三条市の節分行事「本成寺鬼踊り」では、出てくる鬼は5体に増えます。斧や金棒、大金槌を持つ鬼が本堂に現れ大暴れしますが、最後には豆と祈祷で退散し、改心して良い鬼になるという筋書きです。赤鬼は悪心、青鬼は欲心、黄鬼は愚痴、緑鬼は慢心、黒鬼は猜疑心の表れとされ、改心したあとは各々の心を取り除いてくれる存在になるといいます。


愛知県豊橋の「豊橋鬼祭」

愛知・豊橋の「豊橋鬼祭」の鬼はさらに芸達者です。毎年2月10日、11日に行なわれる安久美神戸神明社の例祭では、神楽・田楽・歩射などさまざまな行事が行なわれますが、みんなが楽しみにしているのは「天狗と赤鬼のからかい」です。荒ぶる赤鬼と天狗(サルタヒコ)がさまざまな技比べをして争った結果、赤鬼は敗れて改心、タンキリ飴と白い粉(小麦粉)をまきながら境内を出て、町中を練り歩きます。この粉を浴び、飴を食べると厄除となり夏病みをしないといわれ、人々は鬼に群がって粉だらけになりながら一緒に練り歩くのです。


愛知・奥三河の「花祭り」

芸能と鬼といえばなんといっても奥三河の「花祭り」です。天竜川流域では11月から3月の厳寒の時期に、各地区で「霜月神楽」が催されます。舞庭(まいど)と呼ばれる会場は、大きな土間の四方に立てられた榊がしめ縄で結ばれ、神の降臨の舞台がつくられます。神事がいくつも行われたあと、まつりの中心である舞が始まります。

夜通し行なわれる舞の間に登場するのが鬼。まず「山鬼(山見鬼・山割鬼)」が登場し、まさかりをふるって場を清めます。少し間を空けて登場するのがもっとも重要とされる「榊鬼」で、これまた大きなまさかりをふるい、力強い足踏み(反閇)をして悪霊を祓い、大地に新しい生命力や活力を吹き込み、ムラに豊穣をもたらすといいます。生命力が弱まる冬の時期に山から鬼がやってきて、生きる力を授けてくれるのです。「花祭り」のありがたい鬼たちは、地元では「鬼さま」と呼ばれ、親しまれています。

このように、まつりのなかで鬼たちは、神仏の使いとして魔を祓い、春の訪れを告げる役割を担っています。恐ろしい魔を祓い、弱った大地や人々に力を分け与える存在は、それ自体恐ろしく力強い存在でなければなりませんでした。そのため神仏の使いの鬼たちは恐ろしく、同時に慕わしいのです。

国文学者・民俗学者で歌人の折口信夫は「春になるから鬼が来るのではない、鬼が来るから春になるのだ」と言ったとされています。われわれには、恐ろしくて慕わしい鬼が必要なのです。

プロフィール

飯倉義之

いいくら よしゆき

1975年、千葉県生まれ。國學院大學大学院修了後、国際日本文化研究センター機関研究員等を経て、現職。専門分野は口承文芸学、現代民俗論。怪異・怪談、妖怪伝承に造詣が深く、妖怪をこよなく愛し、研究室は全国で集めた妖怪グッズであふれている。著書に『鬼と異形の民俗学』(ウェッジ)など多数。

関連するまつり

1

#にぎやか

2

#はなやか

3

#大迫力

キーワードから絞り込む

キーワード

カテゴリから絞り込む

開催場所
開催季節
テーマ
動画種別