神楽=ソーシャルネットワーク?
神と人とが交流する場の面白さ
「神楽(かぐら)」とは、神社の祭礼時などに祭壇の前で行なわれる歌舞のこと。和琴や大和笛の音色を思い浮かべ、どこか神聖で荘厳な印象を持つ人もいるのではないでしょうか。しかし、神楽・伝承音楽研究家の三上敏視さんによれば、神楽はソーシャルネットワークのような交流の場であり、何百年も続くだけある楽しい催しなのだといいます。 また、全国各地で独自の進化を遂げた神楽の音楽には、いままでの「日本の音楽」のイメージをガラリと変えてくれるような魅力が潜んでいるといいます。この記事では、「神楽とはいったい何なのか」といった基礎的な情報から、神楽の音楽的な面白さに至るまでをご紹介します。
とても多様で定義や分類が定まらない? 百花繚乱の姿を見せる各地の神楽文化
神楽は民俗芸能の一つとされていて、日本の芸能のなかではもっとも古くから行なわれてきたと考えられています。学問的にはおもに民俗学で研究されてきました。ただし神楽に含まれる要素は多岐にわたり、民俗学だけにとどまらず歴史学、宗教学、芸能学、音楽学など垣根を超えて研究する「神楽学」が必要ではないかとも言われ、その可能性が模索されています。
神楽と呼ばれる歌舞は、基本的に現在神社のまつりとして、またまつりの一部として行なわれています。年々減ってきたとはいえ、いまでも5,000もの神楽が全国にあると言われていますが、そのスタイルがあまりにも多様で、学問的な定義や分類も決まっていないため、正確に数を数えることが難しい状態です。「神楽を見て育った」という人でも、出身地によって持つイメージが変わり「神楽はこういうものです」と一言で言えないのです。
定義は固まっていませんが、神楽の語源については定説があります。神が降りてくる依代(よりしろ。樹木、岩石、動物、御幣など神霊が依り憑く対象物のことを指す)を神座(かみくら)と呼び、それが「かむくら」「かぐら」と変化したというものです。つまり、神楽とは、その地に降りてきた神と人びととの交流の場であるのです。そしてそこには村や集落の皆が集います。神楽は人々が運命をともにする共同体の一員となるための、リアルな「ソーシャルネットワーク=交流の場」でもあったのです。
重要無形民俗文化財として国の指定を受けた山口県の神楽「岩国行波の神舞」
神楽は大きくは、宮中で行われる「御神楽」と、民間に伝わる「里神楽」の二種類に分類が可能です。この記事では主に「里神楽」について紹介していきましょう。神楽からは信仰や芸能の要素以外にも文学表現や美術表現など、縄文から現代までにこの列島に生まれた文化の要素を見つけることができるので「神楽を知ることは日本を知ること」になるでしょう。
「神を招く」「神と人が交わりともに楽しむ」「神を送る」など。神楽の基本的な流れを知ろう
神楽は数時間で終わってしまうものから、夜を徹し、24時間以上かけて行なわれているものまで、さまざまな構成があります。ここでは皆さんに神楽で何が行なわれているのかを知っていただくために、ある程度共通する神楽の演目内容をご紹介しましょう。
概要をごく簡単に説明すると「場を浄め」「神を招く」「神と人が交わりともに楽しむ」「祈祷をしたり神託をもらったりする」「神を送る」というプロセスです。それぞれの神楽によって、順番が違ったり、同じ項目が繰り返されたりと一様ではないのですが、基本的には上記のプロセスを歌舞を伴って行なうのが神楽だと考えてもらえればよいでしょう。「神を招く」までが儀式的、神事的な前半で、「神と人が交わりともに楽しむ」の後半から祝祭となり、日本のまつりの特徴の一つである宴会のような直会(なおらい。祭事が終わってから、または途中で神酒や供物を下げていただく儀礼としての祝宴)となります。
「浄めの舞」は神楽に必ずあると言っていい項目で、神が降臨するにふさわしい場所を用意するためのものです。榊や御幣を持って舞うものが多く、塩をまくところ(長崎県「壱岐神楽『荒塩』」)や、注連縄(しめなわ)を持って舞い、その注連縄を張るところ(高知県「本川神楽『注連の舞』」)などもあってさまざまです。これらの舞の動きには呪術的な意味があると考えられます。
島根県・隠岐島前神楽の清めの舞『神途舞』の様子
「神迎え」も神楽に必ずあるものです。氏神であるその神社の主祭神のほか、八百万の神々を招きます。「神迎え」のスタイルもさまざまで、たとえば浄めた場所で神の名や神社の名を呼ぶところもあれば(長野県「遠山霜月祭『神名帳』」)、氏神の祠(ほこら)まで神を迎えに行くところ(山口県「三作神楽『神迎え』」)もあります。
「神迎え」によって神が降臨してからは、面が登場する神楽が多くあります。一つの解釈として、面は目に見えない神をビジュアル化したものだとも言われています。実際に氏神として面が現れる神楽は少ないですが、宮崎県の「銀鏡神楽」では、6つの神社の御神体とされる面を着けた舞人が次々に現れます。舞っているのは人ですが、面を着けているとそれは「神」となるのです。
面を着けた舞が披露される高知県「本川神楽」の「山王の舞」
「神と人との交流」の内容はいろいろあって「神々をもてなす」もその一つ。愛知県の「奥三河の花祭り」と「銀鏡神楽」では同じ『花の舞』という名前の演目として披露されます。「花祭り」は湯立神楽(釜に沸かした湯を神仏に献上し振りまいて浴び、穢れを祓い、生まれ清まるという性格の神楽。真冬に行われることが多い)、「銀鏡神楽」は採物神楽(神の依代である御幣や鈴、榊、扇などの「採物」を持って舞う神楽、なかでも猿楽能との関係が大きい仮面をつけた舞がメインとなる)にそれぞれ分類されますが、遠く離れた場所のタイプの違う神楽に、同じ名前で同じ意味の舞があるのは興味深いです。
神と人の交わりの大きな要素の一つとして「神人共食」と呼ばれるものがあり、これは宴会のように飲食をして楽しむものです。これには神に捧げた酒や食べ物をいただくことで神威を身に取り込み一体となる意味があります。そしていよいよ祈祷や神がかりなど重要な場面を迎えます。獅子神楽では獅子頭による祈祷が披露され、湯立神楽では神仏に捧げた釜の湯を振りまいてこれを浴び、一年の穢れを祓い清まります。
最後は「神送り」。祝詞が読み上げられたり、舞が行なわれたりします。「神さまはなかなか帰ろうとしない」と考えている神楽の場合、これを何回も繰り返します。基本的にはこの「神送り」で、演目としての神楽は終了です。
つけ加えたいのは、神楽のすべてのプロセスに、芸能としての楽しさがあるということです。ラジオもテレビも映画もないころの人々にとって、日常にはないお囃子の音楽や舞の動き、語りの面白さが体験できた神楽は、特別なインパクトを持つものだったでしょう。楽しくないと、何百年も続かなかったはずです。
ラテン音楽のようなリズムや、トランス感覚に誘われるメロディー。神楽の音楽的な面白さ
神楽の姿が多様なように、神楽の音楽(お囃子)もさまざまです。「神楽ってこうです」とリズムを一つ出すことは難しいのですが、里神楽で使われる楽器はおおむね、太鼓、笛、手平鉦(てびらがね、両手で持ち摺り合わせて音を出すシンバル状の楽器)が基本的なセットとなり、そこに、舞い手の持つ鈴の音がかぶさってきます。
島根県「佐陀神能・七座の神事『呉座』」。大成したあとの能を取り入れた最初の神楽であると言われている
神楽にとって太鼓は一番重要な楽器です。大太鼓をメインに数種類が使われるところもありますが、大太鼓一つだけのところも多いです。まつりではもともとこの大太鼓の響きに場を浄めたり、神を呼んだりする力があると思われていたのでしょう、大太鼓のない神楽はほとんどないと言えます。太鼓の叩き手が、指揮者のような立場で舞をコントロールしているところが多いです。
太鼓と言うと力強く躍動的というイメージがありますが、実際の神楽の太鼓ではセンシティブに叩いたり、こまかな音色の変化を聞かせたりと、ナイーブな楽器として存在しているところも多いです。
笛は篠笛が主流で、いまでも手づくりの笛を使うところがかなりあります。吹き手が一人のところは比較的技巧的になる傾向があり、装飾音が多く、華やかなイメージです。大勢で吹くところはシンプルなフレーズを繰り返すところが多いですが、この単純なメロディーや、ドラムのハイハットのように使われる手平鉦の甲高い音を長時間聞いていると、トランス感覚を覚えてくるでしょう。
複数の笛の音が聴こえる愛知県「奥三河 御園花祭り」の『花の舞』
お囃子の雰囲気は地域によって違います。たとえば島根県の「隠岐島前神楽」や岩手県の「早池峰神楽」、高知県の「本川神楽」などのお囃子はシンコペーションが多用されてとてもグルーヴィーです。山口県の「岩国行波の神舞」ではラテン音楽のような陽気なリズムが聞かれます。音楽学で日本の伝統音楽にはないとされてきた四分の三拍子もあるのです。
また、神楽のリズムにはアフリカ的とも言える、譜面では表せない独特の「ため」や「ゆらぎ」があって、これもまた長く聞いていると心地よくなってくるでしょう。
宮崎県「銀鏡神楽」。銀鏡神楽ではお囃子の種類の一つとして、四分の三拍子でなおかつ「ため」のきいたパターンが存在する
神楽の音楽には、いままでの「日本の音楽」のイメージをガラリと変えてくれるさまざまな魅力があるのです。
神楽を守ることは、コミュニティーを守ることになる
2020年以降、コロナ禍で多くのまつりや神楽が中止になりました。リアルなソーシャルネットワークとして「密」になることでその成果が得られる神楽にとって、大きな打撃となりました。これにより神楽に対するモチベーションが下がった地域もあったかもしれませんが、無観客で催行し、YouTubeなどでリアルタイム配信をした「銀鏡神楽」など、「なくすわけにはいかない」と発奮したところもありました。
貴重な神楽は、限界集落など過疎の村にもよく見られます。村の外に出た人たちがまつりの日だけ戻ってきて、文化を支えているところが多いのです。住む人がいなくなり村がなくなれば神楽もなくなりますが、神楽を守ることによって村が続く可能性もあるのです。村での豊かな生活を可能にするモチベーションとして「神楽を続けたい」という気持ちが役立ってほしいと思います。
プロフィール
- 三上敏視(みかみ としみ)
-
音楽家、神楽・伝承音楽研究家
1953年愛知県生まれ、武蔵野育ち。1995年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。日本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと2001年9月に別冊太陽『お神楽』としてまとめる。 その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、2009年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシング)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネートや、映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオジョッキー」の活動も全国各地で行なっている。