サンタクロースとナマハゲは似てる?世界中にいる「来訪神」の普遍性と地域性
インパクトのある不思議な造形と身振りでわたしたちのもとに現れる神、来訪神。秋田のナマハゲをはじめ、日本にはさまざまな来訪神が存在し、その特徴的な姿には「日本の神様の多様性」が現れています。海外に目を向ければ、来訪神はユーラシア大陸や太平洋の島々にも存在するといいます。地域のローカルな神様として愛されるその存在について、紹介していきます。
いつもそこにいる神「常在神」
日本列島の芸能やまつりに現れる神々は、実に複雑で、多様です。廃仏毀釈や神社合祀運動によって神社と寺院が分離され、天皇を中心とする国家神道が整備されるようになった明治時代まで、日本列島に暮らす庶民は、各地の自然や景観に宿る精霊、そして日本神話や歴史的伝承に由来する事物や神格を分離することなく、「聖なるもの」として尊重してきました。
さらに、ユーラシア大陸から伝えられた仏教をはじめ、道教や儒教をも包含するフレキシブル(可塑的)でハイブリッド(混合的)な信仰体系を生き続けてきました。
こうした信仰体系は、明治以後も各地の年中行事やまつりのなかで生き続けていて、列島各地に存在する山野河海の聖地、あるいは神社仏閣を中心として、現在もあつい信仰を集めています。それらのうちには、「この世」にある特定の場所に存在し、ある聖域(空間)に紐づけられた、抽象化された神格が存在しています。たとえば、山・川・滝・樹木・岩石・藁などを神体とする神々は、特定の聖域につねに存在することから、「常在神」と関係づけられます。「常在神」は「この世」の秩序を支えている抽象的な存在であり、絵画や彫刻として擬人化されたイメージを与えられることは、滅多にありません。
異界から、時を定めて「時空の裂け目」に姿を現す「来訪神」
ある神聖な空間に年中存在する「常在神」とは異なるタイプの神々を、人類学や民俗学では「来訪神」と呼んでいます。来訪神とは、時を定めて「あの世(=異界)」から「この世」を訪れる神々です。来訪神の多くは、恐ろしい仮面や異形の装束を身につけた演者の身振りによって現実化され、人間なのか、神なのか、あるいは精霊や妖怪のようなものなのか判別し難い、特異なイメージが強調されます。
沖縄県・宮古島の来訪神「パーントゥ」
来訪神の多くは、山や森の奥、海の彼方や海底、荒野の果て、洞窟の奥といった、「異界」につながっている特別な空間に普段は生息している、と信じられています。
こうした神々は、いつもは人間の目に見えない生活圏の外にいて、大晦日・小正月・お盆・節分など、ごく限られた時期や時間に「この世」にやってくるのです。人間に来るべき祝福を約束したり、子どもを脅して教育的な言葉を投げかけたりもします。
来訪神は、スサノオをルーツに持ちつつも、国家神話には登場しない「ローカルな神」
日本神話のなかで来訪神の存在は、はっきりと明示されていません。しかしながら、母イザナミの死を悼んで泣き、父イザナギの怒りを買い、さらに姉のアマテラスに対して乱暴狼藉を働いたことで高天原を追放されたスサノオが、青草を束ねた蓑笠姿で下界を放浪したという記紀の伝承から、この時のスサノオの姿が来訪神のルーツの一つになっている、と考えることができるでしょう。
ナマハゲが身につけている「ケデ(ケラ)」のように、植物繊維によって編まれた衣装を身につけ、「根の国」に降りて漂泊を続けたスサノオは、たしかにその独特な出立ちや善悪を含む両義的性格など、日本各地の来訪神と共通する特徴を持っています。
ただし、来訪神の多くは「日本書紀」「古事記」といった日本の国家神話には登場しない、ローカルな神々です。こうした神々は、歴史的にスサノオのような境界性の高い日本神話の神格の影響を受けつつ、日本列島の各地で独自に成立したはずです。そのルーツには、神道や仏教が成立する以前の「古層」から受け継がれた、いわば国家神話に取り込まれることを拒んだ精霊や神々の存在が見えてきます。
「威厳とユーモア」「幸福と災い」など相反するイメージを担う、一筋縄ではいかない性格の持ち主
ロシア出身の研究者として民俗学の黎明期に活躍したニコライ・ネフスキーは、日本に伝わる古い文化は、沖縄諸島や東北、北海道など列島の縁辺部に残っていると考え、そうした地方で積極的な調査を行ないました。男鹿半島から秋田沿岸部にかけて伝承されているナマハゲ(ナモミハギ)、ヤマハゲ、アマノハゲ、遊佐のアマハゲ、能登のアマメハギ、吉浜のスネカ、甑島のトシドン、悪石島のボゼ、石垣島のアンガマ、宮古島のパーントゥ、八重山諸島のアカマタ・クロマタなど、来訪神を祀る文化もまた、東北、能登地、九州、沖縄の宮古・八重山諸島といった列島の辺縁部に多く伝承されています。ネフスキーが考えたように、これも来訪神文化の古さに由来するものかもしれません。
鹿児島県・悪石島の来訪神ボゼの様子
来訪神のなかには、秋田のナマハゲのように、恐ろしい鬼のような形相をしたものも、少なくありません。民俗学者・国文学者の折口信夫は、その理由を、災いを遠ざけ祝福を与える「常世の神」と、土地のなかで調伏されてしまった古い精霊のイメージが同居し、混ざり合った結果だと考えました。
たしかに、来訪神は、威厳とユーモア、崇高さと粗暴さ、幸福と災いという、相反するイメージを一身に担う矛盾した存在であり、一筋縄ではいかない性格の持ち主と言えるでしょう。別の言い方をすれば、一つの神格のなかに、渡来民の歴史と先住者の歴史が統合され、両者が伝えてきた神々の伝承が混ざり合ったところに、鬼のような神のイメージが出現すると考えることができます。
ヨーロッパにも存在する「聖なる来訪者」
じつは日本列島だけでなく、ヨーロッパを含むユーラシア大陸各地にも、真冬の時期に村落に訪れる「聖なる来訪者」の伝統が存在しています。ドイツやオーストラリアのクランプスやペルヒト、スロベニアのクレント、クロアチアのブショーなど、冬至からクリスマスの時期にかけて街に訪れ、時にはサンタクロースのお供として異界から現れる、恐ろしい出立ちをした精霊たち。こうした異形の仮装をした若者たちの儀礼は、日本各地の来訪神にもよく似た造形的・儀礼的特徴を持っています。
20世紀に活躍したオーストリアの民族学者・東洋学者アレクサンダー・スラヴィクは、日本とゲルマンの文化的古層に存在する「聖なる来訪者」の存在に光を当て、さらにアイヌや琉球、中国・朝鮮半島、オセアニア、中部ヨーロッパからコーカサスにかけて、同様の古い信仰体系や若者結社の儀礼的な文化があると考えました。実際にこうした地域の芸能やまつりは、「聖なる来訪者」という存在抜きには成り立ちません。
現代では、民族衣装に関心を持つフランス人アーティストのシャルル・フレジェが、ヨーロッパと日本の野生的な「来訪者」の祭りに光を当て、『WILDER MANN(ワイルドマン)』と『YOKAI NO SHIMA(ヨウカイノシマ)』という、大変ユニークな写真作品を発表しています。かれらは時空の裂け目を表すように、騒々しく鈴を鳴らし、砂や豆を撒き、戸板やドアを激しく叩き、揺らしながら「古い時間」や「冬」を追払い、「新しい時間」と「春」をもたらします。
サンタクロースも来訪神? いまも中欧や東欧に現れる、恐ろしい「クリスマス親父」
異界から時を定めてこの世に訪れる「聖なる来訪者」は、ハロウィーンやサンタクロースの起源にも関わっています。アイルランド暦の新年を祝う「サウィン祭(サムハイン祭)」の前夜、すなわち10月31日の夜に当たるハロウィーンには、死者やお化けの仮装をした子どもたちが無数の「聖なる来訪者」に変身します。
また、小アジアのキリスト教会の司祭であった聖ニコラス(ニコラオス)の伝承は、ヨーロッパ北方やローマ帝国の辺境地に伝わる冬至祭や古い「来訪神」の伝承と混ざり合い、イエス・キリストの誕生日とされるクリスマスの前夜に、異界から現世に訪れる謎めいた存在として、ヨーロッパのまつりに現れるようになりました。
サンタクロースの古い形態である「クリスマス親父(ペール・ノエル)」は、良い子どもに褒美を与える一方で、聞き分けの悪い子どもを袋に入れてさらってしまう恐ろしい存在でした。この伝承は、いまも中欧や東欧の「サンタクロース祭(聖ニコラス祭)」に現れる「黒いサンタクロース」として生き続けています。
来訪神は、ローカルな固有性を担う
沖縄の離島に広がる琉球文化圏では、「聖なる来訪者」のまつりは、死者の霊が生者の世界に訪れるとされる、旧暦のお盆の時期に集中しています。これに対して冬の寒さが厳しいヤマト文化圏では、太陽の光が力を弱める年末から年始にかけて、冬至、クリスマス、正月、小正月、節分といった「時間の更新」に合わせて、まさに古い時間と新しい時間が入れ替わるその境界の時空を破るように、恐ろしい姿をした「来訪神」が現れるのです。
これらの来訪神文化は、まさに国境を超えた人類の普遍的な儀礼であると同時に、その地域のローカルな固有性を担う芸能として、古くから現在に受け継がれています。
参考文献
・アレクサンダー・スラヴィク『日本文化の古層』(住谷一彦、ヨーゼフ・クライナー訳)(未来社、2015年)
・折口信夫『古代研究〈2〉祝詞の発生』(中公クラシックス、2003年)
・クロード・レヴィ=ストロース『火あぶりにされたサンタクロース』(中沢新一訳・解説)(角川学芸出版、2016年)
・シャルル・フレジェ『WIDER MANN 欧州の獣人―仮装する原始の名残』(青幻舎、2013年)
・シャルル・フレジェ『YOKAI NO SHIMA 日本の祝祭 ―万物に宿る神々の仮装』(青幻舎、2016年)
・平辰彦『来訪神事典』(新紀元社、2020年)
・中沢新一『神の発明(カイエ・ソバージュⅣ)』(講談社選書メチエ、2003年)
・ニコライ・ネフスキー『宮古のフォークロア(弧琉球叢書3)』(リヂア・グロムコフスカヤ 編/狩俣繁久 他訳)(砂子屋書房、1998年)
・芳賀日出男『ヨーロッパ古層の異人たち―祝祭と信仰』(東京書籍、2003年)
プロフィール
- 石倉敏明
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いしくら としあき
1974年東京都生まれ。人類学者。秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻准教授。シッキム、ダージリン丘陵、カトマンドゥ盆地、東北日本等でフィールド調査を行なったあと、環太平洋地域の比較神話学や非人間種のイメージをめぐる芸術人類学的研究を行なう。美術作家、音楽家らとの共同制作活動も行なってきた。2019年、『第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際芸術祭』の日本館展示『Cosmo-Eggs 宇宙の卵』に参加。共著に『野生めぐり 列島神話をめぐる12の旅』『Lexicon 現代人類学』など。