マンネリを嫌い、変化し続ける「造り物」。庶民のユーモアが支える文化とは

  • 取材先:福原敏男
  • 執筆:杉原環樹
  • 写真:芳賀ライブラリー、勝山市役所
  • 編集:井戸沼紀美(CINRA, Inc.)

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「造り物」とは、祭礼や儀礼、年中行事の際に、娯楽としての見せものや、賑わいを演出するための飾りとして、身近な日用品や材料を使ってつくられる造形物のこと。現在も、造り物を伴うまつりや年中行事は西日本を中心に各地で行なわれており、とくに夏まつり、盆や小正月行事によく見られます。

造り物は、時代ごと、地域ごとの展開のなかで、見立てのおかしさを味わう庶民の楽しみ、洒落や言語芸術を伴う知的な遊び、権威や社会への風刺、気持ちをフッと楽にする一種の「風穴」、出来栄えを競って町を盛り上げるコンクールなど、さまざまな機能を持って存在してきました。

ここでは、そんな造り物の基本知識や面白さを、武蔵大学教授で日本民俗学・日本祭礼史を専門とする福原敏男さんの解説を頼りにご紹介します。

マンネリを嫌い、変化やうつろいにこそ「美」を見出す

現在では幅広い地域で親しまれている造り物の風習ですが、じつは本格的に民俗学の研究対象となったのは、意外にもこの30年ほどのことだといいます。なぜそのような研究の「遅れ」が生じたのでしょうか? それはひとことで言って、造り物のあり方が、精神世界に関わる民俗信仰に重きを置く、従来の民俗学の価値観とは相入れないものだったからです。

造り物の最大の特徴は、催しが行なわれる期間、長くて数日間だけ展示され、その後は燃やされるなど破棄されてしまう、その仮設性、臨時性、当座性にあります。また、多くの場合、プロの職人ではなく地域の住民によってつくられる点や、身の回りにある道具や材料で作られる点、時代ごとの流行を取り入れる点なども、「神聖さ」がつきものの祭事の世界にあっては独特と言えます。

あえて単純に例えるなら、造り物とは、「一般の人たちがまつりの余興として日用品でパッとつくった、仮設のウィンドウディスプレイ」という感じでしょうか。実際、各地の催しでつくられた造り物を見ると、人気アニメのキャラクターや有名人を模したもの、鳥のサギをかたどって「オレオレ詐欺(さぎ)」への警鐘を鳴らしたものなど、言ってしまえば、ある種の俗っぽさ、「キッチュさ」すら感じさせるものが少なくありません。全国各地で開催される「菊まつり」で、その年の大河ドラマの登場人物をイメージした「菊人形(頭と手足のみが人形で、菊の花や葉でつくった服を着せたもの)」が飾られているのを見たことがある人もいるのではないでしょうか。

しかし、面白いことに、このような刹那的で、俗っぽい性質にこそ、造り物の本質は宿っていると言えます。それは、「風流」(ふりゅう)という昔ながらの美意識とも通じているのです。

「風流」とは、繰り返しやマンネリを嫌い、変化やうつろいにこそ「美」を見出す感性のこと。2022年にユネスコ無形文化遺産の登録が予定されている「風流踊」という踊りも、いまでは稽古が前提となっていますが、もともとは一回性を重んじる民俗芸能として親しまれていました。そして造り物も、この「風流」の美意識のなかで成立したきたものだと考えられるのです。

臨時的な催しのための装飾物を即興でつくる。商人の街・大阪で発展した文化

現在につながる造り物の伝統や習慣は、いつ頃始まったものなのでしょうか? 

そのルーツのひとつは、15世紀頃に京都を中心に流行した盆(中元)の贈答習俗だったといいます。そしてより直接的に、今日的な民俗行事としての造り物のルーツと言えるものが生まれたのは、18世紀頃の大阪においてでした。京都では、いわば上流の楽しみとしてあった造り物が、商人の街・大阪において、いよいよ本格的に庶民の手に渡ることになります。

江戸時代につくられたという「造り物」の作品集。ホウキでできたカマキリなど、作品の様子に加え、つくり方や材料が記されているという。この書籍は江戸時代に『造物趣向種』を冠した名で三度出版され、1996年に太平書屋から刊行されている

造り物がつくられるようになったのは、ルーティーンで行なわれる恒例祭ではなく、「臨時祭」的な性格を持つ催事の場だったといいます。例えば、神社の本殿の修理に伴う「正遷宮」や、御本尊を広く一般公開する「開帳」、あるいは川の上流から流れてきた土砂を大勢の人々でさらう「砂持ち」という土木作業に伴うイベントなどを盛り上げる要素として造り物がつくられることがありました。

臨時的な催しのための装飾物を、「一年前から用意周到に準備する」なんてことはできません。そこで庶民が即興的にアイデアを出し、身近な材料で即席的に対応してつくったもので、その場を盛り上げたわけです。これが、現在の民俗的造り物の土台となっていきました。

さらに、そこに大阪で豊かに育まれてきた文化である笑い、だじゃれ、諧謔や、権威を風刺する精神が発現し、あるいはそうした精神に基づく狂歌や短歌、川柳などの言語芸術がリンクしていくことで、いまにつながる造り物のあり方が形成されてきたのだといいます。

「一式形式」と「人形つくり」。造り物の主流タイプを知ろう

次に、造り物の分類を見てみましょう。そのスタイルは多種多様ですが、ここでは造り物研究の第一人者のひとりで、福原さんとも共同で研究を行なう大阪芸術大学教授・西岡陽子さんが挙げる、ふたつの主流タイプを紹介します。

ひとつは「一式形式」と呼ばれるもの。これは、日用品や身近な材料を一種類、あるいは一グループとして用いるスタイルで、お鍋や陶器だけを使ったり、仏具一式や台所用品一式を使ったりして、一つの作品を表現します。その道具一式のあり方も現代化しており、自動車部品やスポーツ用品一式を使うものも現れています。

この「一式形式」のなかには、すぐにモチーフが特定できるものと、一見何を表しているのかわからない抽象的なものが存在します。福原さんが、もっとも印象的な現行の造り物行事のひとつと語る、福井県勝山市の造り物が、後者の代表例です。勝山の町では、造り物が狂歌と組み合わされて展示されることが恒例となっており、文字を読むことで初めてものの意味が理解できるようになっています。

「勝山左義長」の造りもの(提供:勝山市役所)

例えば、鍋や釜が組み合わされた造形物に、「鍋底不況絶たんと、寸胴の臼据え、鍋の兎が餅を搗くなり」という文字が添えられることで、その造形物が餅をつく兎であり、テーマに不況があることがわかる、といった具合です。

福井県勝山市勝山『卯』撮影:京極寛

このように「一式形式」では、材料となったものと出来上がった造形物が示すものの「乖離」が大きければ大きいほど、観客はそこに趣向の楽しさや洒落の感覚を感じるのです。リアル感を求める擬似的な模造品とは対極の「フェイクの面白さ」というのは、まさにこうしたことです。

造り物のもうひとつのタイプは、「人形つくり」と呼ばれるものです。これは、粘土や紙のような変形可能(可塑的)な材料を使って等身大などの人形をつくり、それを舞台と組み合わせて展示することで、歌舞伎などの場面を表現するものです。多くは素人による素朴なつくりながら、人形の表情の豊かさや、建物や自然を背景にした舞台のあり方も相まって、「一式形式」に比べてよりドラマチックな形式と言えるでしょう。

「人形つくり」の現代における代表的な事例には、長野県安曇野市の穂高神社でつくられる「穂高人形」があります。神社の森をバックに、境内の屋根の上の巨大な舞台に展開された造り物は圧倒的な迫力です。

「お船」と呼ばれる5基の船型の山車に神話や伝説にちなんだ穂高人形が飾られている様子

「一式形式」にせよ、「人形つくり」にせよ、その見せ方については、ある場所に固定されて見られるものが多数を占めます。しかし、例外的に移動式のタイプも存在します。

熊本県上益城郡矢部町で行われる八朔祭における、「大造り物」はその一例です。ここでは、住民がいくつかの組に分かれて、約2週間をかけて巨大な造り物を制作。まつり当日は、台車の上にそれぞれが趣向を凝らしてつくった造形物を乗せ、街中を引いて回ります。

熊本県・山都町で開催される矢部の八朔祭の様子。竹、杉、ススキ、松笠、シュロなど、山野に自生する材料を使ってつくられた「大造り物」が街中で披露される

この八朔祭において、各組は制作期間、他の組に手の内を明かさないよう、細心の注意を払うといいます。そこには一種の勝負の要素があるのです。同様に、各地の造り物では、見立ての新しさや趣向の面白さを競うようなコンクールを伴う場合も多くあります。

ブリコラージュや民藝にも通じる? あらためて注目したい「造り物」の美意識

驚くことに、近世期の大坂千日前や、名古屋、姫路といった町では、造り物を街全体に配置して、いわばテーマパークのイリュージョンのような様相を呈することもあったようです。その光景の一部は、当時の絵画などにも残されています。

こうした街全体を使った見せものでは、比較的裕福なお店の人たちが資金を出し合って造り物を作成し、その盛り上げに貢献したといいます。そして街を飾ったものたちは、まつりが終わればすぐ破棄されてしまいます。

このように造り物には、一日か数日だけ、日常的な「ケ」の世界を非日常の「ハレ」の場に変える装置としての機能もあります。そこには、一瞬だけ空を飾ってパッと消えていく花火にも似た、ある瞬間に賭ける、まつりの本質とも言える「蕩尽(とうじん)」の精神も感じられます。

そしてまた、いつもはものづくりの世界に属さない人たちが、身の回りにあるもので造形行為をするあり方には、現代のわれわれにさまざまなものを連想させます。例えばそれを、たまたま冷蔵庫に入っていた材料でつくられた料理のように、ありあわせのものを寄せ集めて何かをつくることを指す文化人類学の用語「ブリコラージュ」と並べてみてもいいかもしれません。名もなき、あるいは匿名の人々の手仕事や創造性という意味では、近年ふたたび注目されている「民藝」の世界にも通じるものがあるかもしれません。

こうして見てくれば、初めに触れたような、造り物の俗っぽさや、神聖さを感じさせない性質は、むしろ現代の私たちにとって、祭事や年中行事に関心を持つ親しみやすい入り口になり得ると同時に、どんな人のなかにもある「ものづくりの精神や遊び心」をあらためて感じさせてくれる拠り所ともなり得るはずです。

決して大仰ではなく、サッとつくって、サッと壊す。マンネリは野暮で、いまっぽく、人をアッと言わせるような、機転の利いた「オモロい」ものをつくった人が素晴らしい——。そんな美意識を宿した造り物のクリエイティビティーに関心を持ったら、ぜひ実際のまつりや行事を訪れてみてください。

※記事内で使用されている写真の転用は禁止いたします。

参考文献

・笹原亮二+西岡陽子+福原敏男著『ハレのかたち 造り物の歴史と民俗』(岩田書店、2014年)
・福原敏男・笹原亮二編『造り物の文化史 歴史・民俗・多様性』(勉誠出版、2014年)

プロフィール

福原敏男(ふくはら としお)

武蔵大学人文学部教授

1957年生まれ。國學院大學大学院文学研究科修士課程修了、論文博士(民俗学)。国立民族学博物館での共同研究「民俗行事における造り物の多様性」で代表をつとめた。著書に共編著『造り物の文化史 歴史・民俗・多様性』(2014)など。現在、武蔵大学人文学部教授。

プロフィール

杉原環樹(すぎはら たまき)

ライター

武蔵野美術大学大学院美術専攻造形理論・美術史コース修了。美術系雑誌や書籍で取材執筆・記事構成を行う。主な媒体に美術手帖、Tokyo Art Beat、アーツカウンシル東京など。artscapeで連載「もしもし、キュレーター?」の聞き手を担当中。

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