祈り、男女の社交、コミュニティー。
人々はなぜまつりで踊り続けるのか?

  • 執筆:大石始
  • 編集:川浦慧(CINRA, Inc.)

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TikTokやストリートダンスなどをはじめ、現代において「踊る」ということは、快楽や楽しさに結びつくものがほとんどです。しかし、かつて「踊り」は、人々の願いや祈りに結びついた特別な行為だったのだといいます。現代においても、まつりと踊りは切り離せないものですが、なぜ人々はまつりで踊るのか。「踊ること」がもつ意味の変遷を、時代とともに紹介していきます。

人々の願いと結びついた特別な行為だった「踊ること」。現在のような快楽と結びつくまで

本神話には日本における踊りの原点ともいうべきワンシーンが描かれています。

天岩戸に天照大神(アマテラスオオミカミ)が隠れると、世界は暗闇に包まれた。天鈿女命(アメノウズメノミコト)は天照大神を招き出すために半裸で踊り、八百万の神々はその姿を見て笑い転げた。笑い声に誘われて天照大神が姿を見せると、世界はふたたび光に満たされた――。

古来からこの列島では日照時間が短くなる冬至になると、陽光の衰えから人間の魂も衰弱すると考えられていました。そのため、陽光を回復し、生命を蘇生するために神の御魂を迎える鎮魂祭が行われ、祈祷や歌舞が捧げられました。諸説ありますが、天鈿女命を巡る神話はこの祭祀の源流ともされています。踊りによって世界を救った天鈿女命は「日本最古の踊り子」などとも呼ばれます。

現在、踊りとは個人の快楽と結びついた身体行為とされることが多く、ライブハウスやクラブ、盆踊り、TikTok、ストリートダンス、高校のダンス部、社交ダンスなどなど、場は違えども、誰もが楽しいから踊ります。しかし、かつての踊りとは人々のさまざまな願いと結びついた特別な行為でした。

その一例を挙げると、民俗学者の宮田登は著書『宮田登 日本を語る 5 暮らしと年中行事』(吉川弘文舘)のなかで、貞観5年(863年)に現在の京都市中京区の神泉苑で催された御霊会の儀式について触れています。その儀式とは疫病をもたらす行疫神を鎮めるためのもので、祇園祭の起源ともいわれています。

京都「祇園祭」の様子(写真:芳賀ライブラリー)

ここで注目されるのは、御霊会に際して、雅楽寮の伶人たちが楽の音を奏で、それに合わせて子どもたちが舞い踊ったことです。さらに雑伎・散楽の連中も思いのままに歌舞したといいます。このときの稚児舞がたいそう評判だったと伝えられているのです。

まり疫病を退散させるのに水辺で歌舞音曲が行なわれ、人々がそれに熱中した様子がうかがえるのです。踊りや歌がこのとき限りではなく、その後恒例化した段階でも、かならず人々が群参し踊りまわったといいます。十世紀末にも、やはり疫病の大流行があり、派手に歌舞音曲が演ぜられています。

目すべきは、踊ることで行疫神を鎮め疫病を跳ね除けると同時に、そこで披露された歌や踊りに「人々が熱中した」点です。この時点ですでに踊りとは人々に快楽を与えるものでもあったのです。

た、日本では古くからさまざまな農耕儀礼が行なわれ、そのなかでさまざまな踊りが踊られてきました。こうした儀礼は豊作を神に祈願し、集落に住む人々の幸福を願う一種のコミュニティー活動でしたが、人々にとっては一年に一度のハレの日でもありました。そこに踊るという身体行為そのものの快楽があったことは言うまでもありません。

保3年(1096年)の夏、京都では農耕儀礼に由来する田楽踊が大流行しました。上流階級までも巻き込んだその狂乱状態は「永長の大田楽」と呼ばれています。そこには豊作への願いとともに、踊る楽しさや快楽があったはず。だからこそ幕末の「ええじゃないか」と比較されるほどの狂乱状態が巻き起こったのです。

男女の出会いの場であった盆踊りが、規制の対象となった時代も

「古くから伝わる日本の踊り」と聞いて盆踊りのことを連想する方は多いでしょう。盆踊りとはもともと盆に訪れる精霊を供養するための踊りで、原点には太鼓や鉦を叩いて念仏などを唱える踊念仏があります。

の元祖は平安時代中期の僧侶である空也、もしくは布教のために諸国を巡り歩くことで踊念仏を広めた鎌倉時代中期の一遍とされています。踊念仏はある種の宗教行為として広まっていきましたが、その根底には太鼓や鉦のリズムに合わせて踊り続けることで無我の境地に達するという、現代の盆踊りに通じる感覚がありました。

踊念仏はやがて他の芸能と混ざり合いながら、宗教色を薄め、踊ることに特化した芸能となっていきます。踊り手は華やかな衣装で着飾り、歌や踊りは激しさを増します。そうして盆踊りという集落のレクリエーションが形成されていくのです。

明治以前の盆踊りとは男女の出会いの場であり、自由奔放な性愛の場でもありました。そのため、明治に入って日本が近代国家としての道を歩み始めるなかで、盆踊りは規制の対象となります。卑猥な歌詞は削除され、あからさまに男女の出会いを目的とするものは開催そのものが中止されました。盆踊りへのそうした規制がようやく弱まったのは、明治の終わりから大正にかけてのことです。

戦後、盆踊りは都市~郊外のコミュニティーが再編されるなかで、多種多様な住人を結びつけるコミュニティー活動として新たな意義を持つようになります。踊ることで近隣住人とつながり、コミュニティーへの帰属意識を育む。高度経済成長期以降、各地で雨後の筍のように建設された団地やニュータウンの多くで盆踊りが始められ、戦後日本の原風景となっていくのです。

多様な人々と同じ振りつけで踊り続ける。それにより得られる快楽は、盆踊りならでは

2011年の東日本大震災以降、盆踊りは都市部を中心に大きな盛り上がりを見せるようになりました。従来の伝統的な盆踊りだけではなく、新たな盆踊りが各所で立ち上げられました。

災以降、盆踊りが盛り上がった理由はひとつではありません。それまで地域内だけで知られていた盆踊りの模様がSNSで拡散され、コミュニティー外からも人々が集まるようになったこと。野外の音楽フェスティバル以降のイべントスペースとして盆踊り・まつりの場が「再発見」されたこと。コミュニティーの内と外の人々が集まり、語り合う場所としてのまつりの意義が見直されたこと。いくつもの理由が考えられますが、何よりも大きかったのは、世代を超えた人々とともに踊る楽しさが共有されたことではないでしょうか。多種多様な人々と同じ振りつけで踊り続けることによって得られる快楽は、盆踊りならではのものともいえるでしょう。

新型コロナウィルスの感染爆発以降、あらゆる交流が制限され、社会のあらゆる場面に断絶が広がっています。そんな時代だからこそ、コミュニティーの内と外を結び、世代や人種の異なる多様な人々を結びつける盆踊りにはたしかな意義があります。何よりも「踊り」という体験によって人と人がつながることに意味があるといえるでしょう。

「踊り」の観点から注目したい日本のまつり

本プロジェクト「まつりと」が支援するまつり・盆踊りのなかから「踊り」という観点から注目すべきものを駆け足でご紹介します。

郡上おどり(岐阜県郡上市八幡町)

コロナ前であれば毎年32夜が開催され、なかでもお盆時期の「徹夜踊り」では朝4時すぎまで踊り続けられるという日本有数の熱気を誇る盆踊りです。“春駒”“かわさき”“ヤッチク”など10曲がかわるがわる演奏され、踊り手はそれに合わせて下駄を踏み鳴らし、手足を動かします。踊りの輪には誰もが加わることができるため、ここで盆踊りにはまってしまったという踊りフリークも少なくありません。

郡上おどり(写真:芳賀ライブラリー)

中堂寺六斎念仏(京都府京都市下京区)

先に平安時代の僧侶、空也を始祖とする踊念仏について触れたましたが、「托鉢用の鉢と瓢箪を打ち鳴らし洛中の街角で南無阿弥陀仏を唱えて人々の不安を取り除いた」(中堂寺六斎会の公式サイトより)という空也の鉢叩き念仏を起源とするのが、関西各地で行われる六斎念仏踊りです。中堂寺の六斎念仏は長唄や地唄、歌舞伎の要素を取り入れ、芸能色を前面に押し出したもの。多様な演目が披露されるが、なかでもさまざまな踊りが重要な要素となっています。

六斎念仏(写真:Takahiro Nakano)

所川原立佞武多(青森県五所川原市)

夏の青森では多種多様な「ねぶた」が開催されます。地域によって運行されるねぶたの形態やお囃子、かけ声が異なり、バリエーション豊かなねぶた文化が華開きます。五所川原の「立佞武多(たちねぷた)」の場合、高さ20メートル以上の巨大な山車が出現。そこに「ヤッテマーレ!ヤッテマーレ!」というかけ声とともに、跳人(ハネト)と呼ばれる踊り手たちが跳ね回る。そのステップにはまつりの高揚感が写し込まれています。

五所川原立佞武多(撮影:ABE Yoshihisa)

鹿子原の虫送り踊り(島根県邑南町)

かつての農村の人々は稲につく害虫を追い払うために虫送り行事を行ないました。鹿子原の虫送り踊りはその古いかたちを伝える行事です。太鼓を叩きながら踊る太鼓踊りのスタイルは全国各地に見られますが、ここでも浴衣姿に花笠姿の男たちが軽快な踊りを踊り、太鼓を叩く。踊りの原点に触れることができる芸能です。

鹿子原の虫送り踊り(写真:芳賀ライブラリー)

綾子舞(新潟県柏崎市)

普段私たちは「踊り」と「舞」の違いを意識することはありませんが、本来、集団で飛び跳ねる「踊り」に対し、「舞」は旋回の動作を基本としている。本稿では踊りを中心に話を進めてきましたが、最後に舞のひとつを紹介します。柏崎市大字女谷で約500年もの間継承されてきた綾子舞は、女性が踊る小歌踊、男性による囃子舞、狂言という3つの演目で構成されており、古風な舞のかたちを現在も留めています。優雅でダイナミックなそれぞれの舞には時代を超えた美しさがあります。

綾子舞(撮影:ABE Yoshihisa)

参考文献

朝日新聞社編『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社)

宮田登『宮田登 日本を語る 5 暮らしと年中行事』(吉川弘文舘)

久保田裕道『日本の祭り 解剖図鑑』(エクスナレッジ)

プロフィール

大石始(おおいし はじめ)

文筆家・選曲家

地域と風土をテーマにする文筆家・選曲家。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。著書に『盆踊りの戦後史』『奥東京人に会いに行く』『ニッポンのマツリズム』『ニッポン大音頭時代』など。現在の連載は「東京人」の「まちの記憶、音の風景」など。

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